2009/11/21

11月18日

東京に行く。東京都写真美術館での打ち合わせ。夕方、銀座資生堂で「花椿」誌のアートディレクター仲條さん、「花椿」編集長の上岡さん、そして編集部の野村さんと会食。途中で編集部から現在は秘書室に移動した吉田さんも合流。
仲條さんは私の関西弁を聞いて、今年亡くなったデザイナー早川良雄さんの声を憶い出すとおっしゃった。私は仲條さんの江戸っ子言葉(東京言葉ではない)が好きだ。
「花椿」編集長の上岡さんは、一年に120本の映画を観るのだそうだ。私の日経新聞の映画評も読まれているらしい。
行き帰りの新幹線で、若桑みどり著「象徴としての女性像」を読む。ベラスケス作「織女たち」についての言及に刺激されて、これから試みる「ガンジーになる」作品の想を得る。


11月16日

091116高松に行く。高松市美術館での打ち合わせ。来年7月に「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」(仮題)を開催する。先日集荷のあった私の10代から最近までの作品を一同に並べる。
岡山経由で高松に行ったが、岡山駅に降り立ったとき、「ああ、空気が透明だ」と感じ、高松駅に着くとさらにその透明感が増した。
*写真は、高松市美術館に並べた私のかつての作品。中央で光るのは私の作品ではなく、田中敦子作電機服。


11月13日

ブルータスのフクヘンこと鈴木さん、橋本麻里さんら来訪。本特集の取材である。「本」があると話ははずむ。光文社からの依頼原稿で、「22世紀に残す本」というテーマでエッセーも書いた。本は「書物」。書くという身体行為と、物体としての重量を感じることが「本」である。とすれば、「本」とは人間に他ならない。「本」を失うことは、人間の死を意味する。そして時代はこの「人間の死」をほとんど顧みないで暴走している。