2009/11/02

歌集・夕まけて

 2009年10月31日発行 佐々木節雄・著 ながらみ書房発行   (インタビュー)

 森村の高校時代の恩師・佐々木節雄氏の歌集に、雑誌「婦人公論」のインタビューに応じて
語った、「我が心の師 佐々木節雄先生」という文章が掲載されています、p178-183。
 (なお、この文章は「婦人公論」平成21年2月22日号に掲載されました。)


てんとう虫(UCカード機関誌)

 2009年11月号   (執筆・連載)

 20世紀ドイツ美術の第一人者が美術に託した思いとは 「Beuys in Japan ボイスがいた8日間」、p64。 


10月31日

091031今年春に他界された私の高校時代の美術の恩師、佐々木節雄先生の遺作展が大阪の藤井寺美術サロンで今日からオープン。
今日は、美術クラブの中核を担う、額田晃作、増地保男の両氏と詩人で佐々木先生のご子息であう佐々木幹郎さんの三人のトークショーがあった。
その後、高津高校OB、OGによる集いがあった。
こうしてたくさんの人々が集まるということが、佐々木先生の何であるかを表しているが、それらたくさんの人々は、それぞれの絵を描き、それぞれの人生を歩んでおられる。佐々木先生は当然自分の価値観をお持ちだったが、それを押しつけることはまったくなかった。だからみんなそれぞれに育った。でもこうしてその「それぞれ」はひとつところに集うのである。この絶妙なるハーモニーは美しい。
*写真は遺作展会場風景。佐々木先生のお人柄はよく語られるが、これからは、それに加えてその画業に対する評価も語られるべきである。作家論、作品論である。先生の生前にそれを為す事を怠った事を、今私は悔いている。


10月30日

東京に行き、山種美術館で速水御舟展を観る。本物を観てわかることがある。
たとえば、御舟は思ったより、薄く描いているような印象を受けた。なんだかみんな下絵のような感じである。だから、ほんとうに下絵である最晩年の大きな婦人群像も、逆に下絵なのに完成された絵のように見える。ほとんどの絵が未完成に終わったレオナルド・ダ・ヴィンチを思い出した。
しかし以降、御舟に影響を受けた日本画は、みんなこってり厚化粧になって完成される。速水御舟を受け継ぐとは、はたして未完成なるものを完成に向かわせることなのだろうか。

午後3時から東京都写真美術館でレクイエム展カタログの打ち合わせ。
速水御舟展と写真美術館の客層の違いがはっきりしているのが面白かった。


10月28日、29日

091029大阪阿倍野のあるビルMIO主催の写真アワードの審査を二日にわたって行う。
写真家の今森さんと、キュレーターの島さんが他の審査員。
審査しながら、「写真の危機」について考える。今はもう「写真」という言葉が機能しなくなりつつあるのではないかという危機感である。ではそんなとき、失われつつある「写真」の復権を訴えるのか、それとも「ポスト写真」とでもいうべき新しい感受性を積極的に認めるのか。
分岐点に立った時の選択は難しい。「写真」の話から飛ぶが、かつての1945年という時代の分岐でも、いったいどういう道を選択すべきだったか、その解答は得られず、今もまだ問われ続けている。
*写真はMIO審査会場


10月27日

091027大阪天満の原田祐馬のデザイン事務所を訪れる。「女優シリーズ」を某出版社で本にする話があり、その打ち合わせ。
*写真は、三社合同で借りているという原田さんの事務所。北向きの窓からは、中之島が見え、30分に一回、数十メートルの水を噴き出す噴水がある。この噴水について私は多くの言うべきことがあるが、押し黙って耐えている。饒舌であることよりも沈黙が重要である事もたくさんあるからだ。いずれこのことも話すときがくるだろう。


10月26日

深夜目が覚めて、たまたまかけたラジオで加藤和彦特集をやっていた。ラジオ関西の午前3時から午前5時まで。番組名は中村よおの「通り抜けストリート」。
はじめて聴いたが、珍しい選曲で加藤和彦の魅力を2時間たっぷり放送していた。思い立って加藤和彦と坂崎幸之助が新しく組んだユニットによる「和幸=カズコウ」をPCで検索したところ、いきなりトンカツ屋のチェーン店グループ「和幸=ワコウ」が出てきてとてつもなくショックを受ける。