2012/07/09

6月30日~7月1日、3日、8日

6月30日〜7月1日

新幹線で博多に向かう。午後12時45分着。
博多駅で迎えに来てくれた長澤章生さんらと落ちあい、天神のイムズビル8階、アルティアムに直行。本日、個展「美術史への誘い」がオープン。その関連企画で、はじめてのライブペインティングを行う予定。
1990年、「ミュージアムシティ天神」という、街の中に作品を展示する展覧会に参加したことがある。その時、このイムズビルの吹き抜けに巨大な垂れ幕状の作品を展示したことがある。あれからなんともう22年が経った。
午後2時からライブペインティングを始める。大勢の観衆で会場は身動きがとれない状況。
今回、私は、石膏像の顔の部分を私の顔に入れ替える「立体セルフポートレイト」をはじめて発表した。そのうちの一点に、小型のキューピットがある。キューピットの子供顔が私のおとなの顔に入れ替わった立体作品である。
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* 写真は立体作品展示風景

じつはこのもとのキューピットをセザンヌは絵にしている。それで私も「モリムラキューピット」に色を塗って、「立体的なセザンヌ」を作ろうというアイデアである。
約一時間、休み無しで一気にペイントし完成。用意しておいてもらったリンゴやタマネギや皿にもペイントする。これを試しにカメラ撮影すると、見事にまた平面に戻る。
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* 写真は、ペイントしたモリムラキューピット(&リンゴ、タマネギ、皿など)。

ライブペイント終了後、会場に来てくれた、NHKアナウンサーの野村正育さん、佐々木理恵さんと歓談。そのあと、宿泊するホテルにチェックイン。6時過ぎ、再び会場に戻り、レセプション。私の知人、はじめて会う人など、様々な人が集まり、記念撮影、サイン、会話などですぐに8時をまわる。食事は関係者と福岡名物の水炊き、あっというまに12時前になっていた。

7月1日
博多駅でおみやげを買って、小倉に向かう。
北九州市立美術館分館で開催予定の、「モリエンナーレ/まねぶ美術史」展の会場下見と打ち合わせ。訪れたときは岸田劉生展が開催されていた。その「和」と「洋」の狭間の揺れが興味深い。むしろ劉生は、「和(日本画)」に傾いていた洋画家であったことがよくわかる。

7月3日
京都の髙島屋から各地を巡回する「第三回 梅原猛と10人のアーティスト」展の展示に行く。今回は梅原先生と我々10人の作家との競作も展示される。私は、魔舞裸華視(まぶらかし)、写楽、オペラのシリーズのほか、福岡でも展示中のキューピットも急遽展示することにした。
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*写真は、京都高島屋での展示。

7月8日
豪雨が明けて、本日は晴れ。
大学のデザイン科の恩師、平田自一先生の葬儀のため京都に向かう。
初夏の日曜ということもあり、人々は皆カジュアルな白い服だが、私は黒く暑い喪服である。喪服は特殊な運命や時間や体験の真っ只中にいるという徴、すべての世俗を無意味化するブラックホールである。私は駅や街を歩いていても電車に乗っていても、世間から切り離されて、知らない国の出来事を見る異邦人のような心境になる。このすべてから遠ざかる有り様が、私は好きだ。
帰宅後、ぐったり疲れ、知らない間に寝てしまう。エンゼルが忘れた帽子を届けてくれる夢を見る。


2012/06/17

6月8日~10日

8日夜、京都に行く。祇園四条で大村さんと待ち合わせ。
立入好和堂に行き、村山秀紀さんに作品2点を預ける。
7月から始まる「梅原猛と10人のアーティスト」展出品作の額装を依頼。
三人で夕食後、8時半すぎに河原町五条のホテルに行く。
御茶の水美術専門学校の生徒70名近くが先生達と国内研修で京都に滞在、あるテーマにもとづいて発表するという。9日の午後にその講評を依頼されたのだが、私のスケジュールがあわなくなって、急遽8日の夜の途中段階でみんなの発表を見せてもらうことに。明日は、欠席する私のかわりに村山さんを中心に数人講評チームを結成の予定。
午後11時過ぎ無事終了。しかしJR線石山付近で人身事故のために延着、大阪に戻るのが大幅に遅くなる。

9日、朝から新大阪に向けて出発。またまた人身事故でJR環状線が動かない。途中で下し、タクシーで新大阪に向かう。なんとか間に合った。品川から逗子に。逗子からタクシーで神奈川県立近代美術館/葉山館で開催される「松本竣介展」オープニングに参加。岩手県立美術館の原田館長から、松本竣介のご子息を紹介していただく。美術館の水沢館長をはじめ関係者にもお目にかかり、私が松本竣介の絵をテーマに作品を作ることを報告する。
この報告を本日どうしてもする必要があるため、急遽葉山を訪れることになった。
「松本竣介展」は岩手で見たが、葉山でまたあらためて見て、いくつかの新しい発見をする。岩手での展示空間は、ほとんど「祈りの場」のようであった。葉山では、それとはまたひと味違う堅牢かつモダンな松本竣介があった。同じ楽譜を違った指揮者によって演奏しているような違いがあって興味深かった。
美術館を出る頃、京都での「お茶美」の催しも無事終了との報告が入った。
夕暮れの富士
*夕暮れの富士(帰りの新幹線から)

10日午前中からロケハンに出かける。松本竣介作品をテーマとする新作の背景となる風景を探す。まずは大阪市内大正区の中山製鋼所近辺の工場群を見学。戦後的風景、あるいは昭和の風景がまるごと残っている。中山製鋼所近辺は、住之江の名村造船跡地からの遠望として見える。この水越しの遠景もいい。
中山製鋼所付近

* 写真は、中山製鋼所近辺の風景。

大正区から住之江区あたりを午後2時過ぎまでうろつき、堺の宿院名物の「ちくま」の蕎麦、新在家「かん袋」のくるみ餅を食した後、高石市から泉北あたりのコンビナート地帯に行く。大阪市内から関空に行く時、いつも向かって右に見える工場地帯がずっと気になっていた。
とある場所から見える某化学工場の夜景が素晴らしいとの情報を得て、夜7時を越えるまで粘る。朝から晩まで、いろいろな風景を堪能。さてどんな風にこれらをとらえ、作品として活かすか。楽しみでもあり一苦労でもある。
夜のコンビナート

*写真は、夜のコンビナート。


2012/06/06

6月2日~3日

やっと画家松本竣介をテーマにした新作に着手する。
6月2日は、岩手県立美術館が所蔵する「自画像」をテーマに写真撮影。絵のような写真をめざす。モノクロ写真も撮った
のだが、こちらもなんだか鉛筆デッサンのようでおもしろい。
3日は、同じ竣介の絵をもとにビデオ映像の作品を作る。昨日と同じように油絵のようなメイクをした私が、松本竣介の書いた
文章の抜粋を何編も読み上げるという趣向。ただし実際の作品はサイレント。松本竣介は耳が聞こえなかった。
沈黙、無音は重要なテーマである。口の動きから語る内容を読み取れる人はあるかもしれない。すべて文集「人間風景」の
中からの抜粋である。「動く絵画」「語る絵画」「サインレント イン モーション」、いろいろなタイトルを想うがまだ決まらない。

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*写真は、2日に撮影したポラ写真。


2012/06/01

5月25~27日

25日午前中、母親の病院行きにつきあい、午後東京へ。
明日26日に、松岡正剛さんの催し「連塾」の最終回を迎える。
私はそのゲストで出演するのだが、これは完全に秘密にされている。
サプライズを演出するとのことである。
品川からタクシーで会場のスパイラルホールへ。アザブやヒロオを通ってオモテサンドウへ。大阪に住む私には東京がいつも異国に感じられる。
スパイラルホールに到着後、メイクをはじめる。ラルテの松本良輔さんがメイクを担当。なんと私は「松岡正剛」に扮して舞台に立つという趣向なのである。メイク完成後、リハ。声は影でセイゴウさんがやる。私はクチパクであたかもしゃべっているかのようにふるまう。
明日の「連塾」は約6時間。全体のリハは延々続く。私のパートのリハは一回のみ。明日はほとんどぶっつけ本番である。

26日本番。この日は、私の他にお能の安田登さん、服飾デザイナーの山本輝司さんがサプライズゲストで登場。熱気と最終回という独特の雰囲気のうちに無事終了。松岡正剛さん、山本輝司さん、そして私が壇上に登場し、ヨウジさんがセイゴウさんと私に、ヨウジデザインの衣装を着せてくれるシーンがある。本人に着せてもらうなんてなんとゼイタク。衣装はハカマであった。
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*写真は、向って右が本物の松岡正剛さん、左が「松岡正剛」としての私

27日、佐谷周吾さんに迎えに来てもらい、西麻布のルベインに行く。京表具師の村山秀紀さんの個展を見る。真っ白な空間に軸装された作品が浮いたように見える。いつもすばらしい色彩感覚。
そのあと銀座の資生堂ビルに行き、来年予定の資生堂ギャラリーでの個展の打ち合わせを終えて帰阪。
「松岡正剛」に扮するためには、つけ眉毛も必要だった。そのつけ眉毛をあわててひっぱがしてしまったため、私の眉毛も一部一緒に抜けてしまった。ちょっとヘン。
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*写真は、帰りの新幹線車窓からの夕陽


2012/05/24

3月~5月

5月24日
本日すでに五月も後半となった。長い間、日記を書いていなかった。
3月はじめ、枯れた木々が芽吹き、花が咲きはじめ、4月になると小さな鉢の桜の花が開花、
庭のハナミズキやシャクナゲ、それに小さな草木もやっと春の装いになりだした。

4月15日

*鉢に咲いた小さな花/4月15日

結局今年は、月刊の連載を五本抱えることになった。楽しい仕事だが締め切りに追われる日々である。

花椿の絵

*「花椿」誌連載中「美の毒な人々」のための絵(ただしこれは掲載外の作品)

シンガポールの後、4月にモスクワでのグループ展にあわせ、私自身も渡航する予定だったが、諸般の理由で
やむなく断念。
3月2日、大阪のミオ写真奨励賞の公開審査に参加。3月18日、19日、富山の高岡での催しでトーク。
久しぶりに伊東順二さんに会う。帰りに、シロエビ、ホタルイカ、コロッケなどを買って帰る。4月7日より
静岡市美術館で、「モリエンナーレ まねぶ美術史」展がオープン。前日の6日に内覧会。サクラエビ、ミズダコ、
生シラス、黒ハンペンなどを買って帰る。4月21日、東京都現代美術館で開催中の「田中敦子展」にあわせ、
加藤瑞穂さんとのトークに参加。翌日22日、新宿ビームス6階のBギャラリーで開催中の「芸術家Mの舞台裏:
福永一夫が撮った森村泰昌」展のトークに参加。久しぶりに飯沢耕太郎さんに会う。5月6日、静岡市美術館で
自作のビデオ映像の上映会とトークを開催。4月に静岡で買えなかった日本酒「磯自慢」をちゃんとおみやげに
準備してくれていた。感謝。5月12日、大阪の国立国際美術館で開催されたシンポジウム「写真の誘惑/写真と
記憶」に参加。お相手は、キュレーターの植松由佳さんと写真家の米田知子さん。5月14日、横浜美術館に行く。
マックス・エルンストを鑑賞し、インタビューのビデオ撮り。その後、東京に行き、高橋由一展、レオナルド・ダ・
ヴィンチ展を鑑賞、一泊し翌日15日、岩手県立美術館の松本竣介展を鑑賞。美術館に行く前に、福田パンに
立ち寄り、チョコバナナ、コーヒークッキー、ゴマクリームを購入。
以上、公式の催し参加を中心に思い出して列記してみた。忘れていることがあるかもしれない。
明日から東京に行く。

5月14日

*雨の上野公園/5月14日


2012/01/15

1月9日〜1月13日(シンガポール日記)

1月9日
関空からお昼前の便でシンガポールに行く。約6時間で夕方にはシンガポールに到着。
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(写真1)上空からのシンガポール。停泊する船の数に圧倒される。経済が上昇気流にある証拠である。

空港で、眞田一貫、佐谷周吾、ロザリンの三氏が出迎えてくれる。
イッカンアートギャラリーへ直行。運送会社ヘルトランスの倉庫を改装した、巨大なギャラリーである。ここに私は、4点の壁に投影する映像作品、液晶ディスプレイを用いた作品2点、大きな写真作品3点、小型作品約10点を展示した。とはいっても、12月中に行われた展示は、マドリードでの個展展示とかぶっていたため、私自身は立ち会えなかった。だから今回、はじめて空間と展示を見る結果となった。
すばらしい展示だった。細かな点を直せば、さらに質は上がるだろう。10日の午前に展示の最後の仕上げをすることに決め、この日は終了。みんなで夕食に行く。
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(写真2)展示風景。

シンガポール川ほとりのオープンテラスで、眞田さん推奨のチリクラブ(カニを唐辛子入りのスープに煮込んだ料理)などをいただく。カニは、スリランカ産にかぎるとのこと。
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(写真3)チリクラブ、美味!

夕食の後、チャイナタウンに短いドライブ。もうすぐチャイナニューイヤー(旧暦の正月)である。チャイナタウンは特にイルミネーションも華やかになる。

1月10日
午前11時、イッカンアートギャラリーで展示の最後の仕上げ。ウーファーの岸本康さんが来てくれて、照明を完璧にしてくれた。ぐっと映像作品の雰囲気がよくなる。
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(写真4)照明最終調整中

午後、シンガポール料理のチキンライスを是非食すべきとの、佐谷周吾氏の提案を受け、お昼御飯はチキンライスとなる。台湾のコレクター、ルーディ・チェン氏、シュウゴアーツの台湾オフィスのジェニーも合流することになり、ホテルマンダリンオリエンタルの洗練されたチキンライスとなる。
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(写真5) ホテルマンダリンオリエンタルのチキンライス。日本のチキンライスはまったくの別物。

マンダリンを出て、シンガポール国立博物館に行く。オルセー展を観たあと、シンガポールの歴史をたどる資料展示室に行く。シンガポール統一の主人公、李光燿の動く記録映像が印象的だった。

午後6時半、ギャラリーに戻る。本日、オープニングパーティ。大勢の人が押し寄せる。シンガポールの日本大使、鈴木庸一氏にも来ていただき、スピーチをいただく。
個展のことは The Business Time紙や、The Strait Times紙など大手新聞にも大きく紹介されていた。
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(写真6) 個展会場で多くの人々と写真撮影をする。

11時近く、やっと人がはける。それから関係者達と24時間営業のフードコートで夕食。
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(写真7) フードコート情景
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(写真8) 食したメニューのひとつ。

1月11日

午前中、個展会場でインタヴュー。
お昼は、マリーナベイサンズにある「ハイソサイアティ」という名前のレストランで、関係者一同と昼食。ここは、シンガポールの某アートコレクターの経営するレストラン。
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(写真9) レストラン「ハイソサイアティ」での記念写真

三時から、マリーナベイサンズの地下に位置するコンベンションセンターで開催のシンガポールアートフェア/ART STAGE会場へ。立ちっぱなしでかなり疲れる。

夜8時、夕食は、エスプラナードの中華料理店、「ノーサインボード」。文字通り、看板の出ていない中華料理店なのだが、店内は満員だった。総勢9名で楽しく食事を終了。
その後、夜のシンガポールを徒歩でホテルに向う。途中、シンガポール名物のマーライオンの噴水に出くわす。今回は見る事がないと思っていたが、思わぬ機会を得た。
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 (写真10) 夜のマーライオン

1月12日
午前10時半、ラサール芸術大学のシアターに行く。
今日の午後、ここでレクチャーがあるのだが、その準備である。
行くと立派な劇場で、舞台裏にグラウンドピアノもあった。
突然、最後に上映する「海の幸」にあわせて、このピアノを生演奏することを思いつく。

午後12時半、レクチャー開始。
話をしながらパワーポイントでスクリーンにいろいろ映し出す。
100点の自作を音楽にあわせて上映するスライドショー、ビデオ作品「独裁者」、
ピアノ生演奏つきの「海の幸」上映もやり、無事終了。
終了後、日本語放送のシンガポールのFMラジオのインタヴュー。

大学で軽い昼食を終え、さて、これからいよいよ買い物である。
眞田一貫さんと奥様のミホさんとはここでお別れをする。
ミドリさんとユキさんという力強い味方に助けられ、アラブストリート、オーチャード通りなどでバティック、食品、ブランド物などを買いまくっていると、それなりの時間となる。フライトは午後9時過ぎ。
シンガポールという国の特殊性。サバイバル。国家体制。歴史。人々。様々、考えさせる旅だった。

1月13日
午前5時過ぎ、羽田着。ここから新幹線で京都駅。京都駅からタクシーで、京都文化博物館に直行。本日午前10時から、京都美術文化賞記念展オープニングのテープカットがある。じつは前日12日は、その展示だったのだが、私はシンガポールだった。作品数が足りず、家からまたとってくるというようなこともして、大騒ぎの展示だったと後で聴く。しかし、おかげさまで、すばらしい展示になっていた。感謝。
11時に移動。中信美術館にて、京都テレビの取材。その後、関係者とお昼御飯に晦庵河道屋の芳香炉。
帰宅は夕方。
シンガポールでは、なにかと寝不足だった。やっと快眠。


2011/12/26

12月12日〜18日(マドリード日記)

12月12日
個展のため、マドリードへ。関空からお昼過ぎのフライトで、パリ経由マドリード。パリで一色事務所の大舘さんと合流。ホテルについたのは午後10時。12月のマドリードは思いのほか暖かかった。

12月13日
マドリードの朝はなかなか明けない。8時半をすぎてやっと空が明るくなる。
午前9時に朝食。午後12時前、ギャラリー・ホアナ・アイズプリに行く。作品はすでに開梱され、立てかけてあった。
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* 1/写真は展示中のギャラリー内。

スペインでは午後1時から4時までが昼休みとなる。展示作業をしていた人々も、2時くらいになると、だんだんもう帰りたそうな顔になる。
2時を大きく回ってから、昼食に行く。ホアナとその娘さんのコンチャ、そして大舘さんと私の4人。イベリコハムのはいったサラダにイチジクのソースがかかったものと、マグロのステーキを注文する。サラダだけでも十分な量。マグロは巨大。
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* 2/写真は、イベリコハム入り、イチジクのソースがけの大きなお皿のサラダ

明日14日の夜に、映画館/サークロ・デ・ベラ・アルテを借りて、私のビデオ作品の上映と講演会が企画されている。その下見が今日の6時からということなので、合間を使って、カイシャという銀行が母体となる美術館のドラクロア展を観に行く。
午後6時、映画館に下見に行く。素敵な劇場だった。
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* 3/写真は、上映会&レクチャーが予定されている映画館の概観

下見のあと、古いビルをアートセンターにしたスペース/カサ・エンセンディーダで開催中のロシアアバンガルド展などを観て、ホテルに戻る。時差のため、睡魔に襲われる。
今回は、パソコンを持参した。はじめて海外から自分のパソコンでの通信をする。
今、シンガポールでは、来年早々から予定されている個展の設営が行われている。ウーファーの岸本さんが、ビデオ映像の展示にシンガポールに行ってくれているのだが、メールによると、「難行している」とのこと。

12月14日
お昼にクロワッサンプレミアムの齊藤さん、写真家の馬場さん、マドリードに住むコーディネーターの小林さんらとホテルロビーで打ち合わせ。プレミアム誌での「マドリードでの美術の旅」特集。

夜8時から、サークロ・デ・ベラ・アルテにて上映会とレクチャー。作者の解説をはさみながらビデオ作品を上映するというアイデア自体は悪くないと思う。なんとかやりおおせたが、改善の余地は多い。終了後、ホアナ、コンチャ、コンチャの旦那パブロ、そしてコレクターやマドリードに住む美術家らと食事。12時を大きく越えてホテルに戻る。

パソコン通信がイマイチうまく行かない。やればやるほどストレスとなる。

12月15日
プレミアム誌取材も兼ねてエスタド・プロにて昼食。エルジブ系をカジュアルに食べさせてくれる店。
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*4/エスタド・プロでの食事

夜、ホアナ・アイズプリでの個展、オープニングパーティ。最後にホアナファミリーとの記念撮影で盛り上がる。
大使館の山口さんと会う。レオナルド・フジタの話で盛り上がる。フジタはスペインを訪れ、展覧会も開催しているとのこと。
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* 5/記念撮影のためのカメラをセットするお洒落でひょうきんなパブロ

12月16日
次第にマドリードも寒くなってくる。
午前に取材2件。その後、プレミアム誌取材を兼ねて、サン・フェルナンド王立アカデミー、マーティングリードなどを見学して後、ゴヤの天上画があるサン・アイントニオ・フロリダ教会に行く。
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*6/フロリダ教会にて

遅い午後をレストラン、ペドロ・ラルンベにて。美味。
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* 7/写真はレストランの一皿より

一件、写真撮影の取材を終えて、午後8時、プラド美術館の裏口へ。閉館後のプラドでの作品鑑賞と、プレミアム誌のための写真撮影。この通常ではありえない平日の特別許可をホアナがとってくれたのだが、この日本の雑誌取材をモリムラがやっているところを、スペインのTVが取材するということになり、結局大勢のクルーが一緒にプラド内を回ることに。
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* 8/写真はプラド美術館で

12月17日
レイナソフィア美術館、パラシオ・デ・クリスタル、マドリード郊外のCA2Mという小型の美術館などを回る。
昼は、アンダルシア料理、夜はガステルペにてバスク料理。すべて美味で堪能。夜のバスク料理店では、厨房内も見学させてもらった。
今日から人々はクリスマス休暇となる。夜の繁華街は、もうお祭り騒ぎ。日本の正月を思わせる。
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*9/写真は、ガスペルテの厨房にて

12月18日
早朝4時過ぎ起床。チェックアウトをすませ空港へ。
マドリードからパリに着くと、シャルルドゴールはストだった。
クリスマス休暇の大勢の客が空港に来ているので、とんでもない混雑に。
結局、通関を済ませるのに3時間以上もかかった。
機内では爆睡。
結局、行き帰りの機内でやろうとしていた原稿四本はほとんど進まなかった。
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*10/写真は、マドリードからパリへの上空で撮影した朝日