2009/10/04

10月3日

日々ピアノの練習をし、すこしはマシになったとは思うのだが‥‥‥。
手伝いに来てもらって、夕方から650枚の写真にサインして封筒に入れる。
10月5日の草月ホールに参加していただく人々へのプレゼントである。


10月2日

早朝に起き、メールの返事や連載物を手がける。朝食後、5日の草月ホールでの撮影&催しのための荷物を作り、宅配で東京に送る。
午後、梅田芸術劇場で安蘭けい主演のミュージカル「アイーダ」を観劇。作、演出の木村信司さんからのお誘いである。
以前、宝塚歌劇で、湖月わたる(ラダメス)と安蘭けい(アイーダ)の「王家に捧ぐ歌」が同じ木村さん作、演出で上演された時、そのポスターを担当した。その時、ポスターイメージの背景に、バベルの塔のようなものを配したのだが、今回の主要な舞台の大道具であるピラミッドもバベルの塔のように見える。「アイーダ」はバベルの塔の話なのである。戦争ではなく愛を説く「アイーダ」を観た今日、10月2日は、マハトマ・ガンジーの誕生日である。140歳だと、あるNHKのディレクターからのメールがあった。


2009/09/28

9月27日

090927ピアノの練習をする。ウチには電気楽器しかないので、心斎橋の音楽教室のピアノを借りる。DVDをポータブルDVDプレイヤーで再生し、これをいわば楽譜にしてピアノを弾く。私は楽譜が読めないから譜面があっても意味がない。
*写真は、ついに咲いた酸芙蓉の花。元の木は枯れたが、株分けした小さな鉢が生き残っていた。しかしほとんど花は咲かなかった。しかし今年、たぶん鉢をはみ出した根が地面に達し、幹と葉がずいぶん成長した。つぼみがたくさんあるので、これからどんどん咲きそうだ。


9月26日

090926京都のウーファーアートギャラリー(岸本康さんのところ)に行き、御前崎ロケ映像を中心に、ざっくりとした編集チェックを行う。午後2時前に着き、ウーファーを出たのは午後8時をまわっていた。ざっくりした編集映像をDVDにして持ち帰る。これを楽譜代わりにしてピアノの音を考えないといけない。波の音もいい感じだし、どこまでピアノの音を入れるか悩むところ。
*写真は、岸本さんち近くの散髪屋さん。ガラス扉に「BARBER キヨラカ」とある。


2009/09/23

9月21日『帰還』

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雲まじり、おおむね晴れの空。
撮影の残りである、自転車を押す日本兵1名とアメリカ兵5名が出会うシーンと、行軍シーンの一部をやり終える。
日本兵がアメリカ兵と出会ったとき、驚きあわてふためき、再び自転車を倒してしまうのだが、今回は見事に積んであったヴィーナスのトルソが砕け散る。
だが、誰もあわてない。瞬間接着剤を買って来て、田中君を中心に、砕けた破片をパズルのようにはめ込んでいき、修復が終わる。陽が落ち始めると想定している状態の撮影が不可能になるので、実際にはみんなにいら立ちが募ってくる。でもだからといって慌てても打開策はない。このあたりの精神状態の制御はなかなか難しい。きっと実際の戦場でも同じだろう。
なんとか張り合わせたヴィーナスも使い、兵士全員で海辺を行軍するシーンが繰り返し始まった。これは青木繁の有名な絵画「海の幸」の構図を念頭に置いた絵作りである。海から表現や芸術の道具、材料が流れ着く。それら海の幸を収穫し、人間の歴史や社会や生活といった様々な戦場の、その頂上に登り、そのてっぺんに芸術の旗を立てたい。ではその芸術の旗とはどんな旗なのか‥‥‥。

すべてが終了して、掛川から新幹線で新大阪まで帰り、家に戻ったのは午後9時半すぎだった。ロケ日程が長引く可能性もあったが、なんとか実質4日でやり終えた。みんなの疲労具合からすればベストの日程だったと思う。
手の平や首筋が赤く腫れている。日焼けだけでなく、湿疹もたくさんある。手の平は赤黒い。体質が変わったのだろうか、今年の初夏あたりから紫外線にアレルギー反応を起こすようになってしまった。風呂場の鏡で顔を見ると、顔相が変わっている。戦争に行くと人が変わったようになると聞く。まだ、波の音が耳の奥で聞こえている。
*写真は、青木繁風の行軍風景(先頭の私が離れ、写真を撮っている)


9月20日『戦場/再び頂上に旗を立てる』

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快晴。一片の雲さえもない青空。
「硫黄島に旗を掲げる兵士達」をテーマにした撮影をもう一回行う。ビデオでの撮影は昨日終了したので、今回は大型カメラによる写真撮影である。
動きをストップさせるので、細部の見え方や静止したときのポーズが厳密になってくる。動くのではなく、決まったポーズで動かずにじっと我慢しているのは、拷問に近いとさえ言える。

写真撮影終了後、初日に曇り空のもとで撮影した「白い布を干すシーン」を青空のもとでビデオ再撮。
その後、行軍のシーンを何カットかビデオで撮影し、全員くたくたになる。
*写真は、晴天下の物干シーン(実際はこの道具立ての前に日本兵の私がしゃがみ込み、水筒から水をラッパ飲みするシーンとなる)


9月19日『戦場/マリリンと頂上の旗』

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午前6時前に起床。ホテルの部屋でメイクの準備の後、マリリン・モンローのメイクに入る。体全体を白く化粧する必要もあるので時間がかる。
8時過ぎに先発隊が海辺に出発、向こうで準備にかかる。私は9時過ぎにホテルを出て、青木君の車で現地に向かう。
現地では、佐谷周吾さん、フォトグラフィカの沖本さんとライターのタカザワさん、兵庫県立美術館の江上さん、豊田市美術館の都筑さん、美術手帖ライターの山内さんらも合流。
午前、薄日の射す空の下、波は大きかった。マリリン・モンロー登場のシーン、服を脱ぐシーンなどを撮影。ヒールのかかとを砂につけるとググッと沈み込んでしまうので、ずっとつま先だけで立っていなければならない。でも優雅さは必要である。これが長時間に渡るとかなり厳しい。無理なことをしているわけだが、そうやって生まれてきた「自然な感じ」は「自然なんだけど不思議な感じ」に繋がっていく。そう期待して耐える。
*写真1は現場に向かうマリリンメイクのモリムラ

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マリリン・モンローのシーン終了後、撤去。時間が押しているため、一同コンビニでほとんど立ち食い状態で食事を済ませ、すぐに移動。「戦場の頂上の旗を揚げる」の撮影場所へ行く。
旗を揚げる山の頂上となる小高い砂山を荒れた雰囲気に演出するため、全員で流木などを拾って来て積み上げる。じょじょにそれらしくなって来る。
夕暮れをねらってビデオが回る。風の状態が予想をはずれあまり吹かないので、旗のはためきに苦労するが、夕景の空の状態はベスト。沈み行く夕陽を背景に旗を立てるシーンを撮る。私の正面からのカメラで、「報告します!」ではじまる私のセリフのシーンもおさえる。練習ではとちってばかりいたのに、本番では失敗なく何テークもやれたのは不思議というほかない。
沈み行く夕陽を背景に様々なシーンを岸本さんのカメラがおさえる。
御前崎の夕陽はいろいろなイマジネーションを引き出してくれた。日本神話の世界にも通じる奇妙な気配。夕陽は、ある時は青春のシンボルであったり、BGMになにが流れるかで、昔の刑事ドラマのタイトルバックにさえなりうるが、御前崎ではそういう連想は湧かなかった。横山大観は好きになれないが、大観の日輪は、ほんとうにあるんだなと実感する。
硫黄島に旗を掲げるシーンをいくつものイマジネーションへと横滑りさせてゆくのが、今回の大きなテーマであった。特に「実際の硫黄島ではアメリカ海兵隊は当然のごとく星条旗を戦場の頂上に自分達のアイデンティティとして掲げたが、あなたならあなたの戦場にどんな旗を掲げますか」というのが今回の横すべりさせるイマジネーションの重要なものだった。しかしそれで終わりではないのかもしれない、という「続き」を感じる。
マリリン・モンロー、血のドレス、アメリカ兵、日本兵、夕陽、海、空‥‥。役者はそろった。もう一度、絵コンテを見直したい。当初の計画から、おおいに横滑りしてしまって、意外な地点に着地する可能性もありそうだ。
*写真2は、夕陽を背景に休息する兵士達。明治時代の古代神話を扱った油絵を思い出す。