12月2日
すばらしい天気。体調はすぐれないが、空の青さはすごい。
*写真は雲一つない12月2日の青空
すばらしい天気。体調はすぐれないが、空の青さはすごい。
*写真は雲一つない12月2日の青空
昨日の撮影の続きを私の仕事場で行う。もう群衆シーンは終わっているので、少人数での撮影である。
夜、夢を見る。
私は不正乗車のためにいろいろと事情聴取を受けることになるのだが、私自身は、「不正」であることの理由がよくわからず、まったく罪の意識が感じられない。聴取する者といろいろやり取り(=会話)をしている内に、「罪と罰」についての討論となる。
罪と罰の関係はいろいろである。罪を犯した人間がその罪深さを感じているなら罰は意味がある。しかし、例えばある三叉路にさしかかり、右に行くのも左に行くのもたいして変わらないのに、なぜかたまたま、右に行くのが正しく、左に行くのは批難されるというケースもあるだろう。そんな時、右に行くといいが、左に行くほうを選んでしまうと、それは罪となり罰が与えられる。こういうケースを考慮に入れるならドストエフスキーの「罪と罰」も、現代的な改変が求められるのではないか‥‥などと私は得々として語る、そんな夢だった。
1945年にドイツのデッサウで撮影されたカルティエ・ブレッソンの写真をテーマに作品を作っている。
本日は写真に写る35名ばかりの群衆のスタジオ撮影。午前10時に大阪の夕陽ケ丘にあるサンスタジオ入り。準備を経て、午後1時に「群衆になる」人々が集合する。関西を中心とする美術関係者(キュレーター、ライター、記者、編集者、大学や高校の先生、写真家、映像作家等々)が一堂に会する。いつもは、観客から見られる作品や展覧会を制作企画する側の人々が作品の中に登場し、観客のほうを見つめ返すような視線の構造が感じられて、その逆転が面白く作品化されるかもしれない。
撮影終了後、美術手帖の編集長、岩渕さんと打ち合わせ。
*写真は、元になった写真と撮影した群衆写真のコピーと配役を記したメモ
夜、夢を見る。
私のところに殺人を犯した犯人が来る夢である。しかし唐突にやってきたのではない。私は犯人をおびき寄せる画策に協力しているのである。殺人者は生真面目な表情と服装の40歳前後の男だった。この「画策」はその後どう展開したか覚えていない。犯人は捕まったのかどうか‥‥。いずれにしてもこのプロジェクトは、ちょっとハラハラドキドキさせるおもしろいものであり、同時に危険が伴う怖さもあった。
東京に行く。東京都写真美術館での打ち合わせ。夕方、銀座資生堂で「花椿」誌のアートディレクター仲條さん、「花椿」編集長の上岡さん、そして編集部の野村さんと会食。途中で編集部から現在は秘書室に移動した吉田さんも合流。
仲條さんは私の関西弁を聞いて、今年亡くなったデザイナー早川良雄さんの声を憶い出すとおっしゃった。私は仲條さんの江戸っ子言葉(東京言葉ではない)が好きだ。
「花椿」編集長の上岡さんは、一年に120本の映画を観るのだそうだ。私の日経新聞の映画評も読まれているらしい。
行き帰りの新幹線で、若桑みどり著「象徴としての女性像」を読む。ベラスケス作「織女たち」についての言及に刺激されて、これから試みる「ガンジーになる」作品の想を得る。
高松に行く。高松市美術館での打ち合わせ。来年7月に「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」(仮題)を開催する。先日集荷のあった私の10代から最近までの作品を一同に並べる。
岡山経由で高松に行ったが、岡山駅に降り立ったとき、「ああ、空気が透明だ」と感じ、高松駅に着くとさらにその透明感が増した。
*写真は、高松市美術館に並べた私のかつての作品。中央で光るのは私の作品ではなく、田中敦子作電機服。
ブルータスのフクヘンこと鈴木さん、橋本麻里さんら来訪。本特集の取材である。「本」があると話ははずむ。光文社からの依頼原稿で、「22世紀に残す本」というテーマでエッセーも書いた。本は「書物」。書くという身体行為と、物体としての重量を感じることが「本」である。とすれば、「本」とは人間に他ならない。「本」を失うことは、人間の死を意味する。そして時代はこの「人間の死」をほとんど顧みないで暴走している。
やっと机に向かう事が出来、たまりにたまった依頼原稿や連載をやりはじめるが、簡単ではない。外は雨。
昨日の集荷が雨だったらえらい大事であった。