2010/03/18

3月9日

 ライティングもほぼ終了。悪くない展示だと思う。
 午後6時から、TBSテレビ「からくりTV」の収録を展示室で行う。
 芸術家志望の8歳の間瀬清志郎君と展示室を回ったり、清志郎の絵の批評をしたりする。
 終了後、長澤章生さん、豊田市美術館の都筑さん、シューゴアーツの佐谷さんと、レクイエム関連のグッズについての相談を
 兼ねた食事をする。
 外は雪混じりの風雨。


3月8日

 ほぼ作品は展示終了。映像作品の調整などがてまどっている。
 これでいいのか不安がある。今回は、ひねりも工夫もなく、まったくストレートな写真のみの展示である。
 頼りない感じになるのが心配。
 「コヨーテ」誌取材。ベネチアの想い出を語る。


3月7日

 展示二日目。NHK日曜美術館クルーが追いかけ取材。
 ほぼ展示構成をフィックスする。
 夜、麻布十番の世羅田の焼き鳥を食す。美味。


3月6日

 東京都写真美術館の展示のため東京に入る。
 壁はほとんど完成していたが、作品はまだ少ししか出ていなかった。
 NHKおはよう日本の取材を受ける。
 福音館書店の「母の友」の取材。絵本の話をする。
 夕方、清澄のシューゴアーツに行く。「なにものかへのレクイエム:外伝」の展示打ち合わせなど。


2010/02/24

2010年2月24日

長い間、日記が書けなかった。忙しすぎた。日記が書けないほど忙しいというのは、あまりよくない。親しい人々への連絡も滞った。すこし振り返って、主として3月から開催し一年間巡回するレクイエム展関係の備忘録を書いておこう。

12月21日 かかりつけの医師に行き、体調不良を訴え、胃カメラ検査などを行う。たいした症状は見られなかったが、出血あ
        り。ストレスが原因なのはわかっている。 
12月22日 手塚治虫撮影。
091222アトム 
                            (写真/手塚治虫撮影現場)

12月25日 東京で合成作業の予定をしていたが、体調不良のため中止。
12月26日 篠山紀信さんとの対談(フォトグラフィカ)を、東京乃木坂の篠山事務所で行う。なんとか敢行できたので安心す
        る。これが頓挫すれば、今後の予定もおぼつかないと思っていたから、一種の賭けだった。
1月3日   早朝から近所の古い建物/有楽荘外観を撮影。1945年ドイツ作品の背景である。
100102有楽荘
                                (写真/有楽荘)

1月10日   ガンジー撮影。この撮影ですべての撮影が終わった。最後のこの撮影は、不思議なくらい静かな時間の中で進
         んだ。いい作品でフィニッシュを迎えたと思う。
1月12日  12月に予定していて中止したコンピュータの合成作業を東京で行う。ポロック、ボイス、手塚治虫、1945年ドイツ
        の4作。これでやっと出品作すべてのイメージが完成した。
1月13日  レクイエム展の全体会議を東京都写真美術館で行う。長い会議の後、家庭画報取材。
1月14日  草月ホールにて、映像作品「海の幸 戦場の頂上の旗」のためのピアノ演奏、その数カ所を再び録音。英語による
        最後のスピーチも録音する。
1月15日  細江英公さんに会いに行く。アサヒカメラの対談の仕事であるが、私の大きな目的は細江さんにお会いしたかった
        のと、大昔から持っていたある想い出の資料を直に細江さんにお見せしたかったのと、このふたつだった。(くわし
        くはアサヒカメラ3月号で)

1月19日 大阪で鈴木邦男さんと対談。くわしくは美術手帖のモリムラ特集で。
1月20日 大阪で坪内祐三さんと対談。くわしくはこれも美術手帖のモリムラ特集で。
1月21日 大阪で美術手帖モリムラ特集のロングインタヴューなど。あわせて、レクイエム展カタログの中に載せる内容につい
       ての取材も兼ねて、広島市現代美術館の神谷さん、角さん、兵庫県立美術館の江上さんらも参加。
1月24日 大阪で本江邦夫さんと対談。くわしくは「月刊美術」誌にて掲載。
1月27日 東京/恵比寿で週刊文春取材。
1月28日 東京/恵比寿で福岡伸一さんと対談。くわしくはユリイカのモリムラ特集で。
1月29日 東京/神田でレクイエム展出品作の大きな作品の仕上がりをチェック。その後、代官山で「+ing」誌のインタヴュー
       と撮影。

     100129代官山
                           (写真/代官山で会った「ゲバラ」)

1月30日 東京/渋谷でロングインタヴュー。相手は黒瀬陽平さん。くわしくはユリイカのモリムラ特集で。
1月31日 大阪で、フォトグラフィカ誌森村特集の、ロングインタヴュー(聞き手はタカザワケンジさん)
2月4日  京都で岸本康さんと、「海の幸」作品の最終編集。なんとか2月8日の試写会には間に合いそうだ。
2月6日  大阪のMIOの写真アワードの審査員として、トークに参加。その後授賞式と入選者とのパーティ。帰宅後、原田祐
       馬さん、山副さんと、作品集「全女優」の色校などをチェック。カヴァーまわりの帯の色など、大幅な修正案が出る。
2月8日  東京都写真美術館ホールでレクイエム展のプレス発表と「海の幸」試写会を行う。その後、場所を変えて質疑応
       答。
2月9日  朝からジャパンタイムズのインタヴュー。午後は、Voice誌ロングインタヴュー(聞き手 藤原えりみさん)にはじまり、
       「ハナコ」取材。さんまのスーパーからくりテレビのディレクターとの打ち合せなどをすませる。
2月11日 大阪のNHKで、夕方、姜尚中さんと会う。日曜美術館の特集のため。
2月12日 引き続き、朝9時半から姜尚中さんとロケ。鶴橋数カ所での収録の後、大阪城の旧陸軍第四師団司令室の建物
       (私が三島由紀夫作品を作ったところ)を経て、釜ヶ崎へ。姜さんと私は、収録とはまったく無関係に、一日中話をす
       る。移動中も昼食時もずっと話をしつづけた‥‥‥。
2月22日 京都に行き、岸本さんのところで、「海の幸」作品に英語スピーチの箇所を再度録音。いよいよこれで最終編集にと
       りかかる。

日記は書き続けたい。溜めてしまうとどうもいけない。せっかくやり出したのだから続けようと、あらためて思う。
    100102ダンスホール
                      (写真/最近取り壊された近所の元ダンスホール)


2009/12/08

12月6日

091206朝9時からメイクを始める。今日は女性ふたりを演じ分ける。
11時にスタジオにメンバーが集まり、撮影が始まる。夜までかかるが、さほど遅くにはならなかった。「1945年ドイツ」の撮影は順調といえば順調であるが、もうこれでこの作品のために四日間撮影を繰り返している。まだ背景の建物(壁)が残っているから、計5日かかって撮影し、やっと一点完成させる素材が出来た事になる。後はこれらをコンピュータ合成(約40素材の合成作業である)し、プリント、額装‥‥まだまだ完成は遠い。
*写真は朝の誰もいない仕事場


12月5日

「1945年ドイツ」作品の、前面に来る人物3名を演じ分けての撮影。
男性の役で、東京のラルテの石川さん来阪、カットをお願いする。やっと伸び放題の頭が短くなった。何で頭髪が必要となるかわからないから、制作中は、おいそれとカットできない。
今日はセッティングと撮影はワンカットのみ、午後8時くらいに終了。