月別アーカイブ: 2009年9月

2009/09/12

2009年9月9日

09090912日と13日の両日、「ピカソとしての私」を撮影する予定になっている。
そのための準備に忙しい日々。ピカソ(としての私)の前にはテーブルがあって、そのテーブル上にはオブジェが必要で、それを作っている。本来はお皿や瓶なのだが、ここにアレンジを加える。思いついたのは、ピカソの絵風の皿などである。名作「ゲルニカ」の中の顔や手などのおもしろい形をもとに、オリジナルな調度類を用意したい。でもそんなものは売っていないから、自分で作るほかない。
作っていると、ピカソだって名も無い画家だって私だって、みんな等しくこの「作る」という創造の場には足を運んでいるんだという実感が湧いてくる。「作る」瞬間は、みんな同じ空気を吸っている。そう思える瞬間に立ち会えるのは幸せだ。
*写真は、私が作ったピカソ的オブジェ


2009年9月8日

090908夢を見る。
私は誰かと話している。こんな話だ。
「内なる太陽というものがあると思うんです。赤々と燃えるね。しかし内なる太陽なんて存在は、青空で輝くあのまぶしい太陽がないとありえません。内なる太陽は、外部の太陽によって火を灯すわけです」
すると、聞いていた人が質問した。
「目の見えない人にとって、内なる太陽とはどういったイメージなんでしょうか。外部の太陽を視覚的にとらえない場合、内なる太陽を人はどのようにして獲得するのでしょうか」
「私は視覚芸術にたずさわる人間です。視覚は人の優れた能力です。しかしそれがあまりに特化しすぎた結果がもたらす不幸というものが、確かにあります」
私は冷や汗を背中に感じながら、しどろもどろ答えた。
*写真は近所の忘れられた看板


2009年9月7日

090907夢を見る。
なんでも言うことを聞いてくれる人型ロボットが横にいる。
私がいろいろ独り言を言うと、察知してなんでもやってくれるから大変助かる。
ある時、私はこんな独り言を言おうとした。
「一頃、狭いと思ったが、以外と私の仕事場は大きいかも知れない」
ところが、「一頃、せ‥‥」というところで、咳が出て続きを言う事ができなくなった。
ふと見ると、ロボットがいなくなっていた。
「一頃、せ‥‥」=「ヒトコロセ」=「人殺せ」
*写真は鶴橋駅前の風景


2009/09/06

2009年9月4日

090904レクイエム展の全体会議を大阪で行う。事前の打ち合わせを午前11時から。
12時半から4時過ぎまで、巡回美術館や新聞社の人々、総勢11名で、多くの議題。会議後も数人で事後の打ち合わせ。ぐったり疲れるが、山積する問題とともに光明も相半ばして見えてきた、かな。
しかしそれにしても、まだまだたくさんの新しい作品を作らなければならない。間に合うか、それが問題だ。
家の近所の道端に、自然に生えてきたアサガオが、捨てられた自転車に巻きついて白い花を咲かせていた。かなりスゴい「街角美術」ではないだろうか。
就寝前、某新聞に連載している映画評を書くため、アニエス・ヴェルダ監督の「アニエスの浜辺」のサンプルDVDを鑑賞。
朝明けに悪夢を見る。セリフを一行も覚えていないのに、芝居の舞台の幕があく夢である。何度となく見る悪夢であるが、今回は、この失態に対する厳しい事情聴取の場面が加わっていた。


2009/09/02

展覧会: トリック*アートの世界

 タイトル: 視覚の迷宮へようこそ トリック・アートの世界
 場 所: 豊橋市美術博物館
 会 期: 2009年8月22日~9月23日
 出展作: 肖像・ゴッホ  ボデゴン/鼻つき洋梨

 この展覧会は豊橋市美術博物館~北海道釧路芸術館~三重県立美術館~ふくやま美術館~
損保ジャパン東郷青児美術館~長野県信濃美術館~宮崎県立美術館~八戸市美術館~高松市美術館へ巡回します(2009/8月~2011/5月)。
この展覧会カタログの表紙に森村作品「肖像・ゴッホ」を使用していますが、ちょっとしたトリックが仕掛けられています。

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週刊 昭和61-62年 No.39

  朝日新聞出版・週刊朝日百科  2009年9月6日号

 山下裕二・著 この年の昭和アート 森村泰昌 「肖像・泉1、2、3」、p2。 


視覚の現場 四季の綻び

  醍醐書房・発行 Vol.2  2009年8月21日発行

 橋爪節也氏・著「大阪検定公式テキスト『大阪の教科書』に執筆した気分」というテキストに
森村作品「バルドーとしての私2」が掲載、p10-11。